筑波サーキット
2002年11月24日(日)
14:30〜15:00
天候:曇 路面:ドライ
セッティング:ダンパーF 18 R 18
空気圧: 冷間 F1.6 R1.9。(走行後 F2.0 R2.2)
11ヶ月ぶりのサーキット走行である。
筑波サーキットに限れば、実に1年ぶり。さすがにドキドキした。
サーキット復帰を決めてから、やることは多かった。
まず、何といってもタイヤ。昨年の「しのい」で終わってしまったTNR045なのだが、
リアに履く分は、ある程度「どうでもよい」ので、フロントの2本だけを購入。
気付いたらTNR045は生産が終わっていたので、店はあちこちの在庫を探して
入荷してくれたとのこと。次のタイヤどうしよう・・・ってのはそのときに考えよう・・・
ATFも気になっていた。隣人でもある腕の良い車いじり職人のお勧めで
WAKO’SのATFにスキルATFを添加。この効果は絶大で、公道でちょっと踏むだけでも
充分に体感出来るほど。滑っている感じが無い。踏んだ分だけ進んでくれるようになった。
エンジンオイルも換えねばならない。サーキットを走らなくなると、いきなりさぼってしまうもので
5000キロとか、ひどい時には6000キロも同じオイルを使ってたりした。
今回も5000キロ以上も使い続けていて、さすがにオイルはクタクタでした。
ブレーキフルードもくたくたになっていたので、直前に交換。
本当はWAKO'SのDOT5.5を使いたかったのだけれど、それを扱っている業者と
連絡がなかなか取れない。そこで、いつもの店に相談してエンドレスのレース用という
ブレーキフルードに決定。
本当ならば、アライメントも気になるところなのだけれど、結局間に合わずに当日を迎えました。
通常に走っていても、異常を感じるレベルではないので後回しにしてしまった・・・ってのもあるけれど。
当日は、あの雪の筑波サーキットに応援に来てくれた従姉夫婦と、
初めてのサーキット体験になる友達夫婦が見に来てくれた。
久しぶりのサーキットで一人というのは心細いし、とても有難いことです。
(同行者は必ず連れましょう!by筑波サーキット)
1週間前くらいから天気がずっと気になっていた。
久しぶりなのに雨なんて嫌なのに、予報はずっと「曇り時々雨」だと言っていたから。
ところが、当日の昼頃に到着してタイヤ交換を済ませると、なんと晴れてきた!
これは嬉しい!と喜んでいると、黒い雲がどこからか流れて来て・・・
これで降り出したら、またタイヤ交換だなぁと思って心配だったのだけれど、
結局は降りませんでした。
あまりにも早く着いてしまったので、却ってスタート時刻が近づくにつれてドキドキしてくる。
ピットに並んでシグナルが変わるのを待つ間なんて、大丈夫かナァ・・・と心配したりして(苦笑)
でも、実際にコースインするとドキドキなんて感覚は無くなって、
1コーナーを立ち上がって1ヘアまでの光景を見た瞬間に
「やっとここに戻ってきた〜!」という喜びの方が大きくなってました。
という矢先、その1ヘアで黄旗が振られている。
コースイン直後にシビックRがスピンして止まっていたのだった。
その脇をすり抜けて、タイヤを暖める為に抑えた感じで2周ほどすると、次は赤旗が振られている。
最終コーナーで飛び出して、比較的コースに近い位置でスタックしてしまった車がいたのだった。
赤旗の先頭に居たらしく、ピットに戻ると一番先頭になってしまった。
再びドキドキ・・・である・・・
3分ほど後に再スタート。もうタイヤは暖まっているだろうと、一気にペースを上げる。
つもりでいたのだが、どうしてもビビっている自分がいる。
どのコーナーも手前でブレーキを踏みすぎて、コーナー入り口でアクセルを踏みなおしたくなるような走り。
大好きなダンロップ下も、以前ならターンインと同時にブレーキだったのに、まるで雨の日のように
手前でブレーキを踏んでしまうので立ち上がりも遅い・・・
最終コーナーも間違いなく速度が落ちていたと思う。まだまだ踏めるペースの上に、
最初からインに入っていってしまって、自分で自分の首を絞めるような辛いライン・・・。
ってな訳で、再スタート後の1分16秒994というのがベストラップ。今までのベストの2秒落ち。
大体が1分17秒台。こんなペースだと抜いていく車も多くて、道を譲ったりすると一気に19秒台まで
落ちてしまう。ま、当初の予想通りのタイムではあったけれど・・・
(事実、走行前の雑談で、「せいぜい17秒台。良くて16秒台後半かな」と宣言?してました)
ま、今回は12月7日のヒーローしのいの前哨戦の意味が大きいし、
無事だったので良しとしましょう。
ところで、走行時間が残り5分くらいになったころ。2ヘアで遅い集団から抜け出して、
次のラップは頑張れるかな?と思った瞬間に再び赤旗。そのまま走行終了になりました。
結局、12周しか走れなかった・・・